ただいま、日本におります。
今日は僕がRiocatoとして1人のアーティストとしての活動を始めた出発点に幼馴染と一緒に食事に来ています。

そのお店はとても小さく、看板も無く、外観からは食事処とはとても見えないひっそりとした佇まい。
住宅地の中にあるのに本当に隠れ家的なこじんまりとした、それでいて柔らかい空気に包まれた素敵なお店です。

お店の名前は「はこ庭」。

(この記事はFacebookから個人サイトに引っ越す際に書き足した記事です。Facebook以前に昔書いていたブログからの記事もこのサイトには持ってきて統合していますので、そちらをすでに読まれている方はすでに「はこ庭」さんの事はご存知だと思います。)

一緒に行った幼馴染は小学校からの付き合いで、高校生のころに一緒にバンドを始めた仲なんです。

彼はドラム、僕はベース。

高校2年生から始めて卒業前まで活動していました。
その2年間の活動の間にライブも何回かやりましたが、とても印象に残っているのはとあるリハの瞬間です。

曲はなんだったか忘れてしまいましたが、その出来事があったから僕は今も音楽をやっているんだなって思います。

ちなみに、僕らはBuck-Tickのコピーバンドでした。
今の僕からは想像もつかないでしょうね。

そんな僕が今ではBossaNovaギターを弾いてるんですから。
頭文字がBぐらいしか共通点がありませんね。

さて、その瞬間というのは今でもまぶたに焼き付いています。

普段通りのリハだったのですが、ある曲が終わった瞬間サイドギターとドラムの彼(Nとしておきましょう)と僕が顔を見合わせて
「今の凄くね〜!!!??」
「なんかキタよなっ!」
「俺鳥肌たったぜ〜!!」
ってなったんです。

ヴォーカリストとリードギタリストには何のことやらって感じだったみたいですが、リズムに回っていた3人にはハッキリと何かが起こったのを感じられました。

同じことをしているのに、いつもと違う何かスペシャルなことが起こった!

これは疑いようのないことでした。

演奏中に「こう来るだろ?」ってところに、スパッと他のパートが絡み、一緒に盛り上げたり、空間を開けて特定のパートにスポットをあてたり…。
しかもそれがまるで他のパートも自分が音を出しているような気がするほどだったんです。

本当に魔法がかかったんじゃないかって言っても良いぐらいの不思議な不思議な出来事でした。

サッカーに例えたら、一見誰もいないところにスパッと強烈なパスを送り出すのですが、それは受ける相手がフィールドを駆け抜けて必ずそこに追いつきパスを捌いてシュートを決めると分かっているから。そしてディフェンダーとゴールキーパーの裏を欠いてシュートを放つ…という感じでしょうか?

その、見えないけれど「アイツはこう来る!」という確信、そしてそれを受けて実現させるコンビネーション。

本当に鳥肌が立つほどの感動的な瞬間だと思います。

僕たちにふっとやってきたのはそういう瞬間でした。

それを体験してしまったら、虜になってしまいますよね。

その後、僕たちは卒業を迎えバンドは解散、メンバーはそれぞれの人生を歩き始めました。

色んな人生の失敗を繰り返し苦い想いを重ね、僕達は大人になっていきました。
20代を夢と現実の狭間でさまよい人生の迷路に迷い込んだ僕はアメリカに流れ着き、そこでボサノヴァを自分の歩く道と見据えてやっと地に足がつき、なんとかそれなりに生活をしていけるようになりました。

アメリカに渡って11年、今から5年前の春、僕は妻と日本に行くことになりました。

その時にNのお姉さんである「はこ庭」のオーナーさんから「お店で演奏してみない?」と誘われ、せっかくの機会だしこれも何かの縁だろうと、そのタイミングで「じゃぁ、ついにボサノヴァの弾き語りを始めよう♪」となりました。

その時にNもパーカッションで一緒に演奏してくれました。

最初の演奏はもうねぇ、酷いものでしたよ。
よくあれでやったよなって感じです。

ブラジルのノリなんて全然わかっていなかったですからね。

しかも10〜11年経ってやっと会えるようになれた友人や家族とのことを想って、その日のために書いたオリジナル曲で泣いちゃいましてね。

いやぁ〜、お恥ずかしい。
(実は今でもその曲は涙目になるので歌えないんですよね、こまったものです。)

でも、大切な大切な人生の1ページ、決して忘れることのない想い出です。
Riocatoとして活動を始めるきっかけとなったお店、「はこ庭」さん。

11年振りの再会を果たした僕はまたアメリカに戻り、Riocatoとしても友人のサポートととしても音楽活動を重ねました。

厄年の期間は個人の活動はしないで自分の音楽性を深めることに専念しようと思っていたので、Riocatoとしての活動はしばらくしただけで封印となりました。

オヤジバンドに参加したのちに厄年期間に入り、個人ベースの音楽活動も自分から積極的に動くことは控えました。

そして友人であるアッちゃんからベースでAt Starへの参加を誘われ、厄年期間は自分のためではなく誰かのために動くことを基本としました。

厄年の期間は内面を磨き、人に奉仕するのがいいと何かの本で読んだ気がするので、そんな感じで過ごしていたせいか、おかげさまで何事もなく静かに、そして実り多く厄年期間を無事に終えることができました。

厄年が明けて、さぁ、Riocatoとしての活動を再開させるぞとなった時にこれまた不思議な縁でして、野暮用で日本に行くことになりました。

前回は演奏するからとそれに集中して日本滞在期間ものんびり過ごせなかったうえに、「はこ庭」さんの料理も食べることができなかったので、今回は演奏に関することは全く除外してのんびりと日本での滞在、暮らしを満喫させてもらいました。

そしてまたNと一緒に、その後の時の流れを僕の出発点である「はこ庭」さんで語り合ったり、5年越しのリベンジであるお姉さんの手料理をいただくことが叶ったりしたという訳なのです。

何気ない1枚の写真、1回の食事ですが、そこに至るまでには僕とNの何十年にも渡るドラマがあり、そしてそれがこれからも続いていくという人生の旅の途中の一コマであったりするんです。

とても美味しいお料理でした。

そして、とてもとても満ち足りた時間を過ごさせてもらいました。

僕はまたアメリカに戻り、そしてまた友に会いに日本に帰ってきます。

これは今から1月ちょっと前のお話。

でも、不思議と今回の日本滞在前と後では僕の中の何かが明らかに違っています。

やっとLAでの毎日と日本での時間が「今」として結びついた気がしています。

僕はLAにいながら日本にもいる、そんな感覚でいます。

次はさらに間隔を短縮させて2年半後ぐらいに、また日本に行けるようになりたいものです。

日本からアメリカに戻り、また僕の人生への挑戦は続きます。
しかも新しいステージとなって。

Riocatoとしての活動は僕の人生を音で表現する旅なのかもしれません。

始まりの前には友がいて、アメリカでの奮闘を続けて辿り付いた友との再会と活動開始。
根底にあるのは友への感謝。

そして伝えたいのは「人生ってそんなに捨てたもんじゃないよね。」ってこと。

ゴールは、聞いてくれる誰かが笑顔になってくれること。

良い曲を書いて残せば僕がいなくてもそれは可能です。
だから作曲も真剣にやっていきます。

きっとそれが僕達がこの時代に生きた証となっていくでしょうし、それが誰かの笑顔の役に立てるのなら本当に幸せなことだと思います。

Riocatoの出発点で親友と過ごす時間。

僕の原点ですね。

帰るところがあるから安心して旅に出られるのかもしれませんね。

もう、道に迷ってもどこに行けば良いのかわかるんですから。

さぁ、また新しい冒険の始まりです。