オヤジバンド「Central Avenue」との出会い

Central Avenue
Central Avenue初期のショットです。

Riocatoとしての活動を始めたのが2010年3月。

10年ぶりに日本に行って家族や旧友との再会を果たしました。

その際に小学校の頃からの仲の親友のお姉さんのお店「はこ庭」で弾き語りをすることになり、いろいろと自分の人生の中での区切りとなることもあって、この機会にアーティスト名をつけて自分の音楽活動を本格的に始めることにしました。

子供の頃からのあだ名である「川」をポルトガル語にして「Rio」、妻方の姓である加藤をポルトガル語風にもじって「cato」とし、両家を結んで「Riocato」としました。

はこ庭さんでのデビューライブをし、日本から戻ってから夏にかけて弾き語りライブを数回こなし、友人達の間でボサノヴァの人だと認知されていったところ、びびなびの掲示板でメンバー募集をしている人がいました。

季節は2010年の初夏。

オヤジだけど、音楽が好きで夢を持って頑張りたいということを書かれていたのを覚えています。

募集はドラムとキーボードでしたから自分には関係ないのですが、書き込みにはリンクが貼ってあってオリジナル曲が聴けるようになっていました。

軽い気持ちでどんな曲を書くのか聴いてみたら荒削りな曲の中に心のこもった曲があり、「募集とは関係ないんですけど、リンク先の曲を聴かせてもらいました。良い曲だと思うのでこれからも頑張ってください。」とのメッセージを送らせてもらいました。

いただいた返信には、「今度ドラムの人が遊びに来てくれるんですけど良かったらスタジオに遊びに来ませんか?」とありました。

自分の周りで音楽をやっている友人達は皆自分よりも年下で、自分は遅咲きながらやっと自分自身の音楽を表現していくことを始めたばかりでしたから、自分と同世代か若干上の世代の人達のアマチュア活動、大人の音楽活動というものが気になっていました。

見識を広めるつもりでダウンタウンにあるという彼らのスタジオに遊びに行かせてもらうことにしました。

そこはL.A.ダウンタウンの青果市場の卸売りや集配センターのあるエリアで、その中のオフィスの一部屋に機材を持ち込んでスタジオとし、コンピューターを常設していつでも録音をできるようにしてあるオトナのバンド活動の象徴のような部屋でした。

バンドはスタジオが面している通りの名をとって「Central Avenue」。

つい最近までドラマーがいてギター&ボーカルのYukiさん、ベースのShinpeiさんとトリオでやっていたようですが、ドラマーの脱退がしてしまい募集をかけていたとのことでした

このCentral Avenueは日本のオヤジバンドコンテストの予選で部門グランプリを獲得していて、本選で落ちてしまったとはいえ日本の大会に出場していたり、Mixiであるプロデューサーさんが毎年企画しているオムニバスアルバムの常連収録者となっていたと聞きました。

社会人になっていくと音楽活動をしていくのはとても難しくなっていきます。

生きていくために音楽を諦めなければならなくなる人は星の数ほどいると思います。

話を聞いてみると、彼らも仕事に必死で音楽活動をあきらめた経験のある人達でした。

それがふとしたきっかけで連絡を取り合って、それまでお互いに趣味の範囲で細々と続けていた音楽をバンドとして一緒にやっていくことになったのが始まりだったそうです。

僕も実際のところ音楽の道はあきらめて趣味の範囲でやっていくことにして、なんとか現実との落とし所を見つけて、できる範囲で個人の音楽活動をしていこうと歩き始めたところでした。

彼らはそういう活動の先輩になるのですから、今まで自分にとって未知の世界であり、かつ、これから歩いて行くことになる世界をそこに見た気がしました。

ドラマーの人と僕が参加したジャムですが、久しぶりのバンドでのジャム、しかもその頃はジャズのレッスンやボッサばかりだったのでロックやブルースが疎遠になっていて思うようには弾けませんでした。

実際のところ、その場にいる誰よりも下手でした。

ジャムでは苦い思いをしましたが、自分が作曲志向だということやYukiさんの曲について会話をした内容などが彼らは気に入ったらしく、良かったらバンドに協力してくれない?と誘われました。

それまでのバンド活動ではいろいろと苦い思いをしてきましたし、金銭的に出ていく一方だったこともバンドというのはもうやりたくないものとなっていて、そのことも少なからず影響して「自分の音楽を始めるつもりだったんだけどなぁ〜」と思いましたが、まぁこれも何かの縁かなということで、いろいろと勉強させてもらうつもりで参加させてもらうことにしました。

自分の音楽は空いているときにやれば何とかなるでしょう。

 

そんな軽いつもりで僕のオヤジバンド生活は始まりました。

僕が加入したすぐ後に、Yukiさんが以前からバンドに参加を打診していたShunさんがアレンジャー兼音楽監督担当として加入し、バンドは4人編成となりました。

 

その後、Cantral Avenueを優先するあまりRiocatoとしての活動は表に出ることはなく、春に始まった自分の音楽活動は夏が本格的になる頃には息を潜め、バンドでの音楽制作という地下活動に専念していくことになりました。

Riocatoとしての活動は始まって半年もしないうちに一旦休止となってしまいました。

 

(この投稿は当サイトを製作中の2016年2月27日に、オヤジバンドブログから記事の転載をする際に不足分を補うために書いたものです。こちらではバンドの名前が「Central Avenue」と記載されていますが、当時はバンド名を伏せていたので以降の投稿ではしばらくオヤジバンドという表現になっています。)

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