僕が参加したオヤジバンド「Central Avenue」。
バンド活動はもうしないと決めていた僕に、再びバンド活動をする機会を与えてくれたバンドです。
当時よく耳にするようになっていたオヤジバンドというものを自分も体験することになるとは思ってもいませんでした。
それまでは日本では同年代、LAでは同じか下の世代の友人達としてきたバンド活動ですが、初めて年長者の人達の中で音楽をしていく場となりました。
若い頃から音楽が好きで当時の音楽を体験し、20年も30年も前のLAを音楽とともに過ごしてきた先輩達。
そんな先輩達と肩を並べ…と言うには僕の技量も見識も未熟だったので、追いつくように背中を追いかけながら、自分を伸ばそうと頑張って何年も一緒に過ごしてきました。
同年代や若い世代の仲間達とは違う話題、人生の機微に触れるような話、人生を重ねてきたからこその包容力と理解力…。
音楽だけでなく、Central Avenueで過ごす日々はまるで僕にとって人生の勉強の場でもありました。
Central Avenueに参加して初めて、若い頃にもっと年長の人達と触れ合う時間を持ておけば良かったと思いました。
そして、大人になってもそれぞれに人生に悩み、苦悩を抱え、それに挑み、情熱を燃やし…、若い頃と同じような熱さで音楽と向かい合っているという現実を知りました。
それは、5年後、10年後、15年後の自分のあり方を見せてくれているかのようでした。
人生は悲喜こもごも。
楽しい時もあれば、苦しい時もあります。
嬉しい時もあれば、辛い時もあります。
うまくいくこともあれば、どうやってもうまくいかないこともあります。
音楽と人生のバランスの取り方がとても大切だということを先輩達の背中は教えてくれ、また、自分もその中の一人なのだということを強く自覚させてくれました。
そして季節は巡ります。
Central Avenueはスタジオ工事を終え、バンドの音源を本格的なスタジオで制作していける環境を手に入れたのち、バンドの終焉の時を迎えました。
それぞれのメンバーに思い描く人生があり、追い求める音があり、生きるペースがあり、背負っているものがあり、日々の生活という現実があります。
若い頃には前だけ見て突き進むことができたものも、大人となると自分一人の想いだけで生きていくことはできませんし、巻き込んでしまう人のことも考えるようになります。
夢物語がスタジオというひとつの現実となり、イメージが事象へと変わることを体験し、もしかしたら、それぞれのメンバーが思い描いていた音楽や、そこへの道がそれぞれはっきりと見えてきたのかもしれません。
僕個人に限って言わせてもらいますと、厄年期間は自分のための音楽は封印して、誰かのために音楽をすることを優先していました。
厄年期間が明けたらRiocatoとしての自分の音楽を追い求めていく姿が常に頭にありました。
しかし厄年が明けたとしてもそのままのペースではCentral Avenueでのシリアスな音源制作にアッツ&スターズと2つのバンドの掛け持ちで、とてもではないのですがRiocatoとしての時間を作る余裕はありませんでした。
しかし、本当にしたいことは自分の音楽を追い求め、それを形にしていくことです。
いずれ厄年の期間は終わります。
その時期になれば何かしら環境が変わるだろうと焦らないように意識していた僕は、厄年という冬の時期は自分の進みたい方向へとはやる気持ちをぐっと抑え、冬の時期にしかできない学びをきちんと得ることが大切だと、そして雪解けの後にその学んだことを自分の糧として芽吹かせていくことが大切なのだと考えていました。
2つのバンドで忙しければ、Riocatoは余興扱いでも良いから細く長く続けていこうと、まずはバンドで学ばせてもらったことはバンドに反映させて発展に寄与しよう、後のことは自然の流れに身を委ねていこうと厄年明けの時期を待つことにしました。
厄年のピークである本厄を終えて後厄の時期に入り、何かしら変化の兆しが見えてくるようになるのではと思っていた頃、Canaeちゃんのファーストライブをベースでサポートするお話をいただきました。
それを皮切りに、幾つかのサポート演奏をさせてもらう機会に恵まれました。
ソロアーティストとしての活動、バンドのメンバーとしての活動の他に、サポートミュージシャンとしての活動という新しい道があることを体験し、第3の柱としての活動のために個人の技量を高めていく必要を一層強く感じるようになりました。
また、不思議なことにアッツ&スターズの活動が下火となり、アッちゃんがスタジオの引越しや家の引越し、さらにはスタジオ工事などで忙しくなり、アッツ&スターズの活動は休止状態になりました。
不思議といえば不思議なのですが、こういうことはあることでして、僕はすんなりと「あぁ、そういう流れにあるんだなぁ」と感じていました。
そして厄年が明けた2015年。
ふとした用事で日本に行くことになり、Riocatoとしての活動のスタート地点の「はこ庭」さんで、そのRiocatoの最初のライヴで一緒に演奏した幼馴染とゆっくりと食事をする機会に恵まれました。
あの時はゆっくりと「はこ庭」さんで食事をすることができなくて、次に来た時には絶対にゆっくりとご飯を食べさせてもらいたいと思っていた願いが叶いました。
それは僕にとってとても象徴的なことでして、冬の期間が終わり春になっていたことを教えてくれていました。
前日には、LAでのRiocatoお披露目演奏の時に日本から来て同じイベントで演奏した「長谷やん」のライブも見に行って再会を果たすことができました。
バンドの庇護のもとで自分を磨く日々から独り立ちして、自分の音を背負って歩いていく季節が始まったことを告げているかのようです。
日本での出発点とLAでの出発点に触れることができた厄年明けの日本での日々。
そして日本に行く直前に頂いたCAN-ZOさんでのレギュラー演奏のお誘い。
日本から戻った翌週から僕の新しい日々が始まりました。
それはまるで冬の時期に予想していた、「時が来たら自分が意図するしないに関わらず動き出す季節に移り変わっていくだろう」ということが具現化したかのような流れでした。
ユキさんとシンペイさんは一旦解体となったCentral Avenueを見直し、オリジナルメンバーの2人としてまた一緒に歩き出すことを選び、新しい季節を歩き始めました。
一緒にやらないかと声をかけてくれたのですが、どうも僕の流れは違う方へと進んでいるようですので、外部の人間として何か必要な時にはサポートさせてもらう道を選びました。
シュンさんは新規のビジネスの立ち上げに関わり、音楽をするどころではなくなり多忙な日々を送っています。
でも、その先には音楽と関わりあう道が見えているようですので、今は目の前のことに専念して道を切り開いていっています。
人生とは不思議なものですね。
それぞれにそれぞれの物語があって、時が来れば巡り会い、時が来ればそれぞれの道へとステージは移り変わり、その先でまた出会いがあり、また別れがあり…、でも、その出会いは宝で恵み…。
出会い、共に過ごした日々が人生の1ページとなり、その人の一部分になっていきます。
僕のCentral Avenueでの日々はこうして静かに幕を閉じました。
ユキさん、シンペイさん、シュンさんの3人にはとてもお世話になりましたし、色々なことを学ばせてもらいました。
時に優しく、時に厳しく接してくれ、僕の至らなさで迷惑をかけてしまうこともありましたが、それでも今でもCentral Avenueとして一緒に真剣に自分達の音楽を追い求めていた頃と同じような間柄でいられることをとてもありがたく思っています。
結局、この4人でのCentral Avenueのサウンドは世に出ることはなく封印となりましたが、そこで学ばせてもらったことは今後のRiocatoサウンドの血となり肉となっていくことは疑いようがありません。
元Central Avenueの一員として、恥ずかしい音は作れませんね。
「さすがRioくん、良いサウンド作るよね」って先輩達に言われる存在であるように、また、Central Avenueで過ごした4人の日々が音として残っていくためにも、僕はRiocatoという人生を音に紡いでいきたいなぁと思います。
そして、Central Avenueというバンドで過ごした日々をこうして言葉として残していくのも僕にできることの1つなのではないかと思います。
Central Avenue……僕にとってLAでの家族のようなバンドでした。
ありがとう、Central Avenue!!
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